会員のみなさん、こんばんは。
この「ネットワーク通信」は会員相互の交流をはかり、また、資料ネットを広く世間の方に知ってもらうために行うもので、会員が交代で簡単な文章をブログ・ML上に発信し、それをリレー形式でつなげていこうというものです。
記念すべき第10回目のリレー走者は
睦沢町立歴史民俗資料館館長兼学芸員の久野一郎さんです。
よろしくお願いいたします!
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ネットワーク通信10
---------はじめに 2011年3月11日、東日本大震災と大津波のことや睦沢町立歴史民俗資料館であったこと、その後のことを思い出して、文化財と防災について考え、私たち文化財関係者、博物館関係者の文化財救出の相互共助について書いてみようと思います。
あの日、2011年3月11日、東日本大震災で隣近所の資料館を心配 あの日、私は資料館で仕事をしていたときでした。地震が始まったとき、私は激しく揺れる棚を押さえていました。揺れが一旦収まったとき、館内にいた人とともに、展示品・収蔵品・設備に被害状況を確認するため、館内を見回りました。当館では書庫の書棚が倒れていただけで被害らしい被害はありませんでした。
しかしパソコンのテレビをつけると、地震は三陸沖を震源だと言っていました。明治三陸沖地震と昭和三陸沖地震のことは知っていたし、大津波のことも当館で展示をやったことがあったので、太平洋沿岸の広い範囲、千葉県の外房地方にも大津波が来るかもしれないこと、そうなれば万余の犠牲者が出るだろうことを心配しました。そして、太平洋側の東北各県と茨城、そして千葉県沿岸に津波が襲来し、甚大な被害をもたらしました。このとき、岩手県の陸前高田市に博物館があったことを思い出しました。ホームページで陸前高田市立博物館を開いてみると、もうアクセスできなくなっていました。たぶん、大変な被害が出ていることを予想しました。
東北地方も心配でしたが隣近所も心配になり、長南町の資料館は無事だろうか、いすみの資料館は無事だろうかと、学芸員の風間さんや峰島さんに電話をして、「もし被害があって私に援助できることがあったら言ってください」と伝えました。そのとき、テレビでは飯岡の町が大変な被害にあっていると伝えていました。
飯岡の資料館を心配 一番大切なものは人命ですが、文化財も大切なものです。文化財とは有形の文化的所産で我が国にとって歴史上又は芸術上価値の高いものをいい、古文書、工芸品、歴史資料、有形民俗資料などがあります。救出対象の文化財は価値が高いモノならば国県市町村で指定や登録している物件だけでないし、私がここでいう「文化財」には未指定のものも含めます。
未指定のものも含めて文化財はわが国の長い歴史の中で生まれ、はぐくまれ、今日の世代に守り伝えられてきた貴重な国民的財産です。文化財はわが国の歴史や文化などの理解のために欠くことができないもので、将来の文化の向上と発展の基礎となります。わが国の国民文化的の向上に資して世界文化の進歩に貢献するためには、文化財を保存することが不可欠です。
さて、飯岡の町が津波で被災したことを知って、海岸部にある資料館は無事だろうかと思って何日か過ぎたころ、鎌ヶ谷市立郷土資料館学芸員で房総史料調査会代表の立野晃さんから、「飯岡の資料館の様子を知りたいが、鎌ヶ谷も大変で調べに行くことができない。被災していたら緊急に文化財救助の必要がある」との電話がありました。
余震が続き原発が爆発して放射能がどうなっているか判らなかった3月27日と4月4日、尽きかけていた車のガソリンもようやく確保できたので、仕事が休みの日に2回にわたって飯岡の資料館の被災状況を調査に行きました。もし被災していたならば立野さんたち関係団体に呼びかけて、文化財の救出活動を提起するつもりでした。
飯岡の資料館を外側から調査 旭市は資料館収蔵品の安否どころの事態ではないことを承知していましたから、この調査は先方の了解を得たものではなく、館外から資料館外壁に残る海水面の跡の高さを観察して展示室床面などの高さと比較して被災の有無を推測する調査でした。現場には消防団のはっぴを着た人たちや警察関係者と思われる人がたくさんいました。現場に長くいると誤解されるおそれがあり、展示室内に入って見ることもできませんから、外側からの短時間の観察調査でした。
調査の結果、展示室床面に海砂が侵入していることから展示室床面以上の高さに海水が入ったことを確認しました(写真1)。しかし外壁に残る水面の跡の高さ(写真2)から、展示ケース内には達していないことが推測できました。文化財の緊急救助の必要性は一応ないのではないかという判断をし、立野さんに連絡をしました。床置きの資料は海水が浸みたことを知ったのは、かなり後のことでした。やはりもっと詳細な調査が必要だったのです。

(写真1 海砂が入った飯岡の資料館入り口)※クリックで拡大表示

(写真2 外壁に津波の高さが残る)※クリックで拡大表示
千葉県内の文化財保護関係団体 千葉県内の市町村を組織する文化財保護団体で、「千葉県史跡整備市町村協議会」があります。今年度の大会で、文化財について「極めて貴重な国民共有の財産」といい、これを「後世に引き継いでいくことは我々に課せられた義務であり、使命であります」といって、「大震災による史跡等文化財の被害をそれぞれの郷土のこととしてとらえ、被災地の文化財が1日でも早く復旧できるよう支援する」と決議されました。そして、この協議会の担当者会議で、「今年度大会経費の節減により余剰金が見込まれるので義援金として送金してはどうか」という案が出てアンケートが行われました。私は、「文化財が貴重な国民的財産で、公共のために保存すべきものならば、余力のあるところは県境を越えても援助した方がいい」と回答しました。集計結果が来たので見てみると、「震災復興の義援金としての意見に賛同する」「非常時なので(義援金として送金が)適当」「文化財の復旧に役立てるためなら賛成」といった賛成がありましたが、こうした賛成意見は20団体しかありません。あとの20団体は、「目的外使用だから」「余るから別の目的に使うというのは安易だ」といった「反対」でした。このアンケート結果をふまえた担当者会議では、「文化財の被害をそれぞれの郷土のこととしてとらえ」るのではなく、余剰金はこの協議会の繰越金なったようです。大会で「決議」した「被災地の文化財が1日でも早く復旧できるよう支援する」は、どうしたのでしょうか。
また、千葉県博物館協会という団体があります。ここでは、平成21年度に「千葉県文化財救済ネットワーク」というものが提唱され、立派な報告書が出されました。担当された方は大変ご苦労様でした。しかし、その直後の平成23年3月11日に発生し、県内の博物館にも多くの被害をもたらした東日本大震災時には機能しませんでした。
さらに、千葉県史料保存活用連絡協議会という団体があります。こちらの協議会の会則にある「会員相互の連絡と提携を図り研究協議を通じて史料の保存、活用及び自治体史編さん事業の振興に寄与する」とあります。私はここに馴染みが深いので、4月上旬に事務局を置いている県文書館の担当者を訪れて、「今度の大会で史料の災害援助協力のしくみを作ることを提案しよう」と言いましたが、そういう話にはなりませんでした。
以上のように、千葉県内にある既存の団体は、どれもこれも結局いざというときに何も役に立ちませんでした。
文化財救助活動に参加を 岩手県の陸前高田市立博物館は大津波に襲われて職員が死亡しました。職員は、収蔵品を最後まで守っていたのでしょう。30万点にも及ぶ収蔵資料の多くが損傷しました。これが岩手県の博物館の諸君等によって救出され、千葉県立中央博物館など全国の博物館が協力して損傷した資料の修復作業が続けられています。その労力は当該館のためのものではなく陸前高田市立博物館のためのものですが、「目的外使用だから」と言う人はいないのでしょう。文化財の緊急救助活動の関係者に敬服します。
これまでに睦沢町立歴史民俗資料館は、3万点を越える資料を収集保管してきました。廃棄寸前に救出した価値ある資料も多くあり、緊急救出のノウハウは蓄積してきたつもりです。文化財や博物館資料の救助について、睦沢町立歴史民俗資料館でも少しぐらいなら外部資料の応急処置と一時保管は可能です。
大震災の翌年の2012年7月7日、私は「水損資料の救出法」と題して千葉大で講座をおこないました。
さらに、房総資料調査会の諸君たちは2013年2月10日、あの大地震で被災した霊光寺の土蔵から所蔵資料を搬出し、以来翌年秋まで8次にわたって調査を継続しました。私もできるだけ出て来て、最終日まで参加できました。
2013年9月9日、一日だけでしたが、茨城史料ネットの古文書救出活動に参加させていただきました。
千葉県博物館協会は、前記の教訓から、まずは救済対象を博物館収蔵資料に限定し、協会加盟館のネットワークを活用した救済体制の構築を検討しようという機運が高まってきました。そこで千葉県博物館資料救済体系構築実行委員会を組織して2012、2013年度にわたり検討を続け、2014年度には被災した博物館資料を救済する具体的な体系と手順が定められ、2014度末の3月11日には災害が起きたことを想定した訓練が千葉県全県下の博物館で実施され、資料救済にかかる実際の活動が開始しました。
東日本は千年に一度という大惨事にあい、私たちは災害を経験した人たちと同じ時代を生きています。今回のことで私は、他人を頼ったり動かしたりすることはできないと知りました。「絆」だ、なんだといっても、その意志のない人には無関係です。私たちは、私たちでできることしかできないのです。しかし私は、自分ができることをまだやりきっていないような気がします。私は、自分たちでできることを精いっぱいやりたいです。
終わりに 私は大学で文献史学を勉強し、自治体史編纂の嘱託をはじめ様々な仕事を経て今の仕事をしています。私の学芸員人生があと二年足らずで終わろうとしている今、私は何をしにこの世に生まれてきたのだろうか、と思うときがあります。
当館の収蔵庫に私が救出した「残された資料」があります。この資料の多くが廃棄目前だったもので、未調査・未登録のまま収蔵庫に充満しています。これらの基礎的情報は私にしかわからないことが多いので、私が在職しているうちに調査・整理を行わなくてはなりません。
私の経験上、資料が失われる原因は災害や盗難などによる意図しない原因よりも、所蔵者による意図した廃棄によることの方が多いのです。災害ばかりでなく、所蔵者が廃棄する資料の救済が必要です。昨夏から昨秋にかけて、睦沢町内外の家から相当数の資料の寄贈を受けました。それらの多くは廃棄目前だった資料を当館が譲り受けたものです。
私は今、休日のうち、週に一日はそれらの救出と調査に、もう一日は第二次世界大戦で房総半島中部域に墜落した零戦などの調査をしています。残された学芸員人生のなかで休日を返上して資料救済や調査活動を行っているので、一週間のうち7日全部が「仕事」と「仕事みたいなこと」で埋め尽くされています。そのため千葉資料ネットは少し御無沙汰しております。
多くの日本人は、2011年3月11日を忘れることはないでしょう。千葉県でも多くの文化財が被災しました。これらを緊急に救助するシステムため、わが千葉資料ネットのような組織が必要です。あの地震や津波で死んだ人たちは、何を言い残したかったのだろうかと思うと、それは残された資料からしか語れない。だから、資料を保全し、活用することが私たちの使命だと思っています。
このネットワークに関心を持つすべての皆さん。もし、資料の救助活動の要請があれば、参加してください。
----------------久野さん、ありがとうございました!!
さて、千葉資料ネット事務局では引き続きネットワーク通信に寄稿してくださる方を募集しております。
興味のある方は下記まで是非ご一報ください。どうぞ宜しくお願い致します。
→ネットワーク通信についてのお問合先
gyuyuka@gmail.com
その他のお問合先
chibasiryounet@gmail.com
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