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ネットワーク通信22:取手市教育委員会埋蔵文化財センター 神谷彩季さん

こんにちは。千葉資料ネットの一牛です。気がつけば11月。今年も残り二月となりました。いかがお過ごしでしょうか。

さて、この「ネットワーク通信」は会員相互の交流をはかり、また、資料ネットを広く世間の方に知ってもらうために行うもので、会員が交代で簡単な文章をブログ・ML上に発信し、それをリレー形式でつなげていこうというものです。
第22回目のリレー走者は、取手市教育委員会埋蔵文化財センターの神谷彩季さんです。よろしくお願いいたします!

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ネットワーク通信22
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 取手市教育委員会埋蔵文化財センター学芸員の神谷 彩季(かみや さき)と申します。今後ともよろしくお願い申し上げます。
簡単な自己紹介ですが、私は神奈川県の出身で、平成29年に立正大学大学院文学研究科を修了しました。大学・大学院では日本近代史を専攻し、千葉県の地租改正をテーマに修士論文を執筆しました。大学院修了後、現在は取手市教育委員会埋蔵文化財センターで学芸員として勤務しております。

○現在の勤務先である取手市について
 取手市は中近世期には下総国に属しておりましたが、現在は茨城県に属しており、利根川を挟み千葉県我孫子市と隣接しています。市の名前は古くに城郭があって「砦」といったのが由来だそうです。中世期には相馬御厨の地で、相馬氏の支配がなされていました。なお、平将門伝説が市内には多くあり、将門の愛妾桔梗御前の墓とされていたりする史跡や、将門の墓と言われていた大日山古墳(実際には古墳時代の古墳ですが)があります。
近世期には水戸街道の宿場として栄え、現在も取手宿本陣の建物が残っています。また、河岸場もあり、利根川水運の要地でもありました。近世期には取手は市内全域が一家の知行ではなく、佐倉藩領、旗本領、寺社領などがあります。
明治期に入ると、取手市域は明治4年に印旛県、明治6年まで千葉県に属しましたが、明治8年には茨城県に編入されました。取手市、昭和45年に市政が施行され、昭和40年代から昭和50年代にかけ東京都心のベットタウンとして開発され、平成17年に隣接している藤代町と合併し現在に至ります。

○近況報告
 4月に就職し、現在取手宿本陣の管理などを行っています。取手宿本陣は水戸徳川家に本陣に指定され、水戸街道を通る大名や高位の武士たちに利用されました。この取手宿本陣の敷地のなかには、徳川斉昭が詠んだ歌の歌碑があります。この歌碑は斉昭が我孫子から取手に向かう途中に舟中で詠んだ歌で、江戸で石に刻まれ、取手宿本陣に運ばれたものです。また、明治期に入ると郵便取扱所に一時なったようで、明治初年の郵便窓口が現存しています。この取手宿本陣昭和62年に市指定史跡になり、平成8年に県指定文化財になりました。通常金曜日から日曜日まで一般公開を行っています。さて、11月の文化財保護強調週間中の11月3日―5日にかけ、付近にある長禅寺三世堂の特別公開に併せ、本陣でも本陣解説のガイドツアーを行ったり、特別講演を行うなどを企画しています。取手市の歴史自体もですが本陣についても勉強することがいっぱいありますが、これからも着実に学んでいきたいとおもいます。

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神谷さん、ありがとうございました!
次回のネットワーク通信は八街市郷土資料館の德永暁さんです!どうぞよろしくお願い致します!

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