先日、栃木県茂木町で行われた資料レスキューの参加記を、君津市立久留里城址資料館の布施慶子さんが寄せてくださいました。
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7月22日と23日の2日間、資料レスキューに参加してきましたので、以下に作業の概要や雑感を書かせていただきます。現場の作業に参加するのは初めてで、全体の様子や今回の要点も把握してはおりませんが、初心者の視点でご報告します。
今回、レスキューの対象となった茂木町某家は、元禄期より続く近江商人とのことで、酒造業をされていました。敷地内には店舗から続く主屋、複数の倉庫や酒蔵などが林立し、中でも2棟の土蔵に多くの資料が収められていました。(後に保存資料を選別し、廃校に納めた際には、教室二つ分もありました。)
某家は20数年前の茂木水害で被害を受け、今回の東日本大震災でも被災され、家屋・敷地・資料が茂木町の所有に移されたとのことです。レスキューは茂木町教育委員会からの要請で、栃木史料ネットと茨城史料ネットが幹事となり、各地の史料ネット(千葉資料ネットも)が支援する形で行われました。1日目の日曜日には約50人、2日目は20数名の参加があり、茨城ネットの学生・卒業生の参加が目立ちました。千葉ネットからは、5名の参加でした。多数の参加により、この2日間で古文書・帳簿類、調度品や膳椀類など、建物の解体に伴う資料の運び出しが完了しました。並行して建築の記録作成も進められていました。
資料の運び出しは、いくつかの担当に分かれて行われました。現場の担当(土蔵・質蔵)、運搬担当、作業場担当(土蔵・質蔵)、運送担当、一時保管場所担当、建築記録担当です。
自分が担当した作業場(土蔵)は、資料の汚れを払い、概要記録用紙に簡単な情報を書き込み(資料№、資料名、墨書、年代、点数)ダンボールかエアキャップで梱包する流れ作業でした。資料は、被災と言っても津波被害を受けている訳ではなかったので、めだった菌害もありませんでした。過去の水害の泥が固着している資料、虫害を受けた資料はありましたが、基本的な資料の扱い・清掃・梱包は、自分の勤務する博物館の日常業務と変わりません。幹事の手配も行き届いていて、ご一緒のみなさんも慣れた方ばかりでしたので、作業はスムーズに進みました。しかし、なによりその資料の数に圧倒されました。
自分は茂木町についての知識はありませんでしたが、今回残された資料は、単に商家一軒の歴史ではなく、茂木の(場合によっては栃木県の)商い・文化を語る代表的な資料群のようにお見受けしました。貴重な資料を守ってこられた所蔵者の歴代のご苦労を思い、ご当主や町教委の「保存」という判断に接し、率直に頭が下がります。また、栃木ネット、茨城ネットの皆さんのご準備と配慮は大変な労力であったと想像できます。ありがとうございました。
資料は今後、茨城史料ネット等の助言により町教委が整理されるとのこと。整理作業のボランティアも予定されているそうです。敷地は、周辺一帯を整備し、活用方法を検討中とのことで「資料館建設」の案もあるようです。
余談ですが、はじめての参加で服装を迷いました。当日は長袖シャツ、長ズボン、スニーカーで、案内にあったヘルメットを持参してみました。参加者の中には安全靴をはいた方もいらっしゃいましたが、大方は普通の靴のようでした。自分はスニーカーに踏みぬき防止用の中敷きを入れて行きましたが、現場は幸い足元も良い状態でした。なお、清掃作業ではかなりの塵埃が出ていました。自分の持参した使い捨ての防塵マスクでは感じませんでしたが、使い捨ての不織布マスクを使用して清掃にあたっていた方々は「だいぶホコリを吸った」と苦しさを口にされていました。
話は戻りますが、今回、廃棄対象に分類されたものの中から、最後に保存の再確認が行われたことを、興味深く拝見しました。当初の作業で、廃棄の決定をされる方は、ごく僅かな人数です。最後に複数の目で廃棄資料を再確認し、今回は酒瓶の各種ラベル、建物の守札、特色ある古布などが拾いだされ、「保存」に変更されました。ダブルチェックの重要性と、多様な分野の専門家が参加することの可能性を感じました。
また、文化財関係者のつながりについて考えさせられます。栃木史料ネットの前川さんは、参加者に繰り返しお礼を述べられていました。私どもにも「千葉で、もしもの事があれば馳せ参じます」とおっしゃって下さったことが、大変心強く、印象に残っています。
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