先日、岩手県一関市町で行われた資料レスキューの参加記を、後藤恵菜さんが寄せてくださいました。
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5月20日(月)に、宮城資料ネットを中心とする、岩手県一関市の資料レスキューに参加しました。
もともとは、千葉県南の有志の学芸員さん達が、宮城資料ネットの事務局を訪問・クリーニング等の活動を視察する予定だったそうですが、宮城資料ネットに一関の資料レスキュー要請が入り、千葉県グループに資料レスキュー参加の打診があったそうです。その後、仕事の都合で千葉県グループに欠員が生じたため、千葉資料救済ネットの会員でもある、久留里城址資料館の布施さんから連絡をいただき、急遽、私も参加させていただくことになりました。
レスキューにうかがった家は、老朽化の進んでいた土蔵が、先の震災でさらに破損が進み、土蔵の扉もほとんど開かない状態になっていたそうです。そのため、ご当主が蔵の建替を検討され、土蔵内に保管されていた古文書類・家財道具類の対応について一関市芦東山記念館に相談。そこから宮城資料ネットに打診があり、今回の資料の搬出となりました。一関は元仙台藩領というつながりもあり、県域を越えての救援活動となったそうです。
宮城資料ネットの繁忙なスケジュールと、梅雨入りの時期を控えていたことから、作業は一日限り(事前に一日、概要調査と一部資料の搬出があったそうです)。土蔵が危険な状態であったために、十分な内部調査はできず、作業の見通しがつきにくいなかでのレスキューとなりました。
当日は8時に仙台駅集合。宮城資料ネット事務局・ボランティアの皆さん、千葉県グループが3台の車に分乗し、約2時間かけて、一関を目指しました。現地で、一関市教育委員会生涯学習課、一関市博物館、一関市芦東山記念館の皆さんと合流し、総勢19名で10時半から作業を始めました。
天井の梁が折れているということで、土蔵の中に入るのは数人に限定され、内部の様子はあまりよく見ることができませでしたが、中棚なども破損しており、ダンボールや長持ち、タンス、什器類、刊本類などが雑多な状態で置かれていました。

土蔵の中身はすべて運び出し、紙資料類は宮城資料ネットが預かってクリーニング・整理等をする、家財道具類はご当主が日を改めて要不要の確認をし、最終的な判断をされるとのこと。千葉県グループは、土蔵から運び出された紙資料類の箱詰め作業を手伝いました。資料の埃や塵をざっと払い、脱酸素剤と共にガスバリア袋というビニル袋に入れ密封し、ダンボールに入れていきます。雨漏り等があり、資料類は湿気を帯び、黴が生じたり、虫食いで状態の悪いものがありました。洋紙は劣化が激しく、文字の書かれていない断簡などは廃棄することも視野に入れ作業を進めました。

危険な土蔵からの資料の搬出が最優先であり、時間の制約もあったため、当日の現状記録は、土蔵から搬出するときの様子を写真撮影したのみだったように見受けられました。資料の箱詰めを記録するという指示もなかったので、私たちも黙々と箱詰め作業を進めました。本来は現状記録をするべきなのでしょうが、それができない現場もある。現場では「こうでなければならない」ではなく、「こうはどうだろう」という試行錯誤の連続。状況に応じた判断力・対応力が常に求められるのだということを改めて痛感しました。
皆さんの手際のよい作業で、土蔵からの資料搬出はほぼ午前中で終了。昼食をはさんで、午後は宮城資料ネットに運ぶ資料の箱詰めと、ご自宅に残す家財道具類の確認と簡単な整理・手当を行いました。家財道具類はビニルシートで覆って急場を凌ぐことになりましたが、どのように手当てするのがよいのか、どこまで保存が可能なのかなど、いくつか検討課題がありました。このようなレスキュー活動に、さまざまな分野の専門家が参加してくれることが理想であると思います。
文書資料の総数は39箱。今回作業した分を東北大内の事務局まで運んだあと、事務局の方に仙台駅まで送っていただいて、18時解散となりました。詳細は「宮城資料ネット・ニュース」第196号でもすでに紹介されていますので、あわせてご覧ください。
すでに多くのところで指摘されていることですが、震災から2年を経て、土蔵や家屋が建て直されるケースが出てきています。そのときに、縁がなければ廃棄されてしまう資料があることは十分に考えられます。日頃からどのようなアンテナをめぐらせておくべきか、どのような準備をしておくべきか、資料ネットとしてもいろいろと考えさせられる一日でした。また、千葉県の学芸員の方々と一緒に作業をさせていただき、その仕事ぶりに学ぶことが多かったことも特記しておきたいと思います。作業場所の環境や段取りを即座に、的確に理解・判断し、必要な意見を、しっかりと伝える。さまざまな経験を踏んでいるからこそ、初めての場所でも十分な力が発揮できるのだということを目の当たりにしました。「千葉に素晴らしい人材がある」ことを発見し、とても心強く思いました。
どれだけ、資料レスキューに参加しても、その都度その都度、環境も条件も異なり、その対処法は異なります。常にそのときの最善の方法を考えて行動しなければいけないということを再認識しました。
末尾ながら、宮城資料ネットの活動に改めて敬意を表すると共に、さまざまなご配慮をいただきました事務局の皆様に、心よりお礼申し上げます。
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