会員のみなさん、こんにちは。
千葉歴史・自然資料救済ネット「ネットワーク通信」担当の一牛です。
この「ネットワーク通信」は
会員相互の交流をはかり、
また、資料ネットを広く世間の方に知ってもらうために行うもので、
会員が交代で簡単な文章をブログ・ML上に発信し、
それをリレー形式でつなげていこうというものです。
早速ですが、第7回目のリレー走者は
今年度から運営委員に参加してくださっている
東京外国語大学の吉田和彦さんです。
よろしくお願いいたします!
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ネットワーク通信7
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国立歴史民族博物館の後藤恵菜さんから指名をいただいた吉田和彦です。今回は、自己紹介と「資料救済」について思っている事について書かせて頂きます。記憶だけが頼りのほとんど~によればの「レバニラ炒め」の世界ですが。
(1) 自己紹介
東京都生まれ。駒澤大学文学部歴史学科卒、現在は、東京外国語大学総合国際学研究科在学中です。研究テーマは、「戦後の東京湾埋立と漁民の抵抗」です。調べていくと漁民の運動の足跡を辿るのに漁業補償で終わってよいのか悩んでいるところです。今は、問題解決のひとつの糸口として水俣病の問題を補助線として引く作業をしています。どんどん核心から離れていく感じがして危うい限りです。
駒澤の時の指導教授は、近代日本外交史がご専門の先生でした。四年生の卒論ゼミの時、「君たちは、『資本論』を読んだことがあるかね。」と聞かれました。文庫本や新書の一冊目ですぐ挫折した私は、下を向いてしまいました。それで理論が大切だという話をされるのかと思いました。先生は、おもむろに「理論だけだったら、あんな厚さにはならない。実証に裏付けられているからあれだけの厚さになるんだ。実証が大切なんだ。」とおっしゃいました。今、思い出してみても未だに理論と実証の関係についてつき詰めて考えた事のない私には、冷や汗ものの思い出です。
(2) 考古学についての雑感
父親は、考古学者でした。1920年生まれで、旧制中学で樋口清之から考古学を教わったそうです。私は、考古学にはほとんど興味をもちませんでした。しかし、学部生のときに父から借りた『考古学概説』の冒頭部分だけは良く覚えています。「遺跡発掘は、必ず遺跡破壊を伴う。」これって、考古学では常識なのでしょうか。すごい言葉だと思います。外科医が成功した手術で実際には体におかしな負荷をかけたと考えるでしょうか。子どもの才能を伸ばした教師がほかの才能を矯めたことに反省するでしょうか。
もうひとつだけ「考古学」の話をさせてください。父は、先生である後藤守一に習い、たまに書く色紙に「好古」と書いていました。「好古学」なのですね。あるいは「学」は、いらない。出典はおそらく「述べて造らず、信じて古を好む」でしょう。昔の考古学者には、学があったというべきでしょうか。
そういえば、黒羽清隆が学芸大附属の教え子への試験問題で「ヒストリー」と「ゲシヒテ」の違いについて論述せよという問題を出したそうです。ある生徒の回答は、以下のものでした。「歴」とした存在でありながら「史」となりえなかったひとびとの存在を明らかにすることが民衆に対する敬愛の証しである。これで黒羽さんは、私は幸せな教師であると書いているのですが、それはさておき、「初心」を貫くと言うのはなかなか難しいことだと思います。問題は、文書や遺物を大切にすることとかつて生きていた人々の「いのちに対する畏敬の念」が本当に結びついているのかということではないでしょうか。
(3) 資料とはなにか
我田引水の史料解釈を常とする私が偉そうに書くのは、大変に気が引けるのですが。・・・
内田義彦が大塚久雄の講義の「開講の辞」で中国の王様に贈られた霊木でつくられた楽器の話をしたそうです。国中の腕自慢の演奏家が弾いてもひどい音色しかでない。そこに仙人があらわれて霊木の言い分を聞く、あるいは聴くと楽器は自ら美しい音色で語り始めた。資料とは、このように扱わなければならない云々。実際の大塚史学がそのようなものだったかは私には分からないのですが。(梶山訳と大塚訳の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の違いも含めて。)資料を史料にするには、大変な知識のバックボーンと勘の良さと問題意識が必要と言うことでしょうか。史料操作という単語としては、知っているつもりなのですが。
(4) 救済とは
大塚久雄流に言えば、「無生物」の資料も主体(subject)に成りえます。そういえば1945
年7月26日に出されたポツダム宣言では、天皇及び日本国政府は連合国軍総司令官に対してsubject to するとありました。東郷茂徳以下の外務省は、誤訳すれすれに「その制限の下におかれる」と訳しました。陸軍省の秀才は、素直に「隷属する」と訳したのでした。(外務省編『終戦史録』)仮に史料に主体があるとすると資料救済に最も似た分野は、医学と言う事になりましょう。
医者が治すのではない、患者が自ら治すのだと言う事を無茶と承知でとりあえず前提にします。暴論に聞こえるに違いないのですが選択肢としては何もしない方がいいということも考慮に入れるという事です。(小松左京『日本沈没』のD2計画)大急ぎで断ると助けられるものは出来るだけ助けようと言う選択肢の方がはるかに多いという事です。
おそらく短期的視野の救済(応急手当て)と長期的視野の救済(癌ならば、再発しない治療+養生)に分かれます。短期的救済は、災害後に駆けつけて現状維持や最低限の修復を現場でする事でしょう。長期的救済とは、①資料調査とは異なる視点で、資料の台帳、地図、現状の劣化程度、デジタル化した撮影記録の保存などを行うこと。②関連機関、文書等所蔵者とのネットワークづくり。③拠点となる場所と人の確保④財政的安定の保持。④病院にあたる災害時の汚損、破損資料の保管および修復場所④医師・看護師にあたる専門家とボランティアの「訓練」と「確保」⑤修復後の現所蔵者への返還。⑥①~⑤についての報告書の作成や講演会等による情報の普及と「応援団」づくり。等が考えられます。
ややおおげさに言うと研究史の整理により時代を越えて縦の時間軸に研究者の共同体が成立する様に次世代に「物」と「物を残す知恵」を送り出すことで「市民」が文化財の「知的所有者」として愛好し、学び、新しい未来の文化財を造る素材となれば権威や金銭的価値尺度とは別に資料が地域によって守られる社会を展望する事ができるのではないでしょうか。
本当なら資料と救済の間の関係性や飛躍を考察すべきでしょうが私の能力をはるかに超えます。かつて遠山茂樹の「生活者的研究者」(『歴史学から歴史教育へ』)に憧れながらいまだに「半人前の研究者」である(あるいは、自立した一人前の研究者には永久になれない)人間が勝手な事を書き連ねました。リレーメンバー中のただ一人の鈍足選手というところでしょうか。お読み頂きありがとうございます。
次は、千葉大学教育学部小関悠一郎さんにバトンをお渡しします。
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